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「シャカリキ」のテルではありませんが、
坂バカが生まれるまでの、紆余曲折のストーリーです。

 

 

 

初めまして、松木 雄介です。29歳です。

 

大阪府の箕面市に住んでいて、
よく勝尾寺を登っています。

 

ちょっと前まで
大手と個人のスポーツ自転車店で
それぞれ2年半ずつ、計5年働いていました。

 

趣味は「持久系スポーツ」。
特に、ロードバイク、それからマラソンです。

 

趣味でのんびり走ることも好きですが、
それ以上に競技としての側面に強く惹かれます。

 

燃え上がるような熱い気持ちは
レース内で志を同じくする
ライバル達と競い合うことでしか味わえません。

 

 

ところで、僕には夢があります。
今のところ大きすぎる夢です。

 

 

ヒルクライム日本一

 

 

ロードバイクで山を駆け上がるレースで、
日本で一番速くなりたいんです。

 

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始まり

大大一周
(家の周りの周回コース1.6km)

小さいときからよく走っていました。

 

3つ上の兄が陸上をしていたこともあり、
後を追うように真似して走っていました。

 

だから、「走ること」は身近なことでしたね。

 

小学生の夏休みには、
自分で日課を決める宿題があったんですけど、
家の周りのコース3~5kmを走ることを日課にしていました。

 

 

小学校は陸上とサッカー。
中学校は陸上とバスケット。
高校は卓球。

 

色んなスポーツに手を出しましたが、
不器用さのせいで球技はまったくダメ

 

バスケットは100点差で負けたり、

 

3年近く続けた卓球でも、
公式戦で一勝もできませんでした。

 

向いているなと感じるのは
「走ること」だけです。

大学時代にトライアスロンを始める

蒲郡トライアスロン大会
(蒲郡トライアスロン大会)

大学では新しいことがしたくて、
まずは色んなサークルを巡りました。

 

 

「どこに入ろうかなぁ」

 

 

サイクリングサークル、ゴルフサークル、
あとはアニメサークルなんかも回った記憶があります。

 

どのサークルも雰囲気が合わず、
しっくりくるところが、なかなか見つかりません。

 

 

そうこうして2週間ぐらいたった4月中旬ごろ、
いつものように教室の机に置かれた
大量のビラの中に、気になる文字が目に入ったんです。

 

 

トライアスロン

 

 

「水泳」「ロードバイク」「ランニング」の3種目を続けて行うスポーツ。
”鉄人競技”というイメージを持たれていたりします。

 

 

「なんだか楽しそうだな」と、直感的に思いました。

 

持久力には自信がありましたから、
「辛そう」というより「面白そう」という
好奇心のほうが大きかったです。

 

その上、水泳や自転車なども初めてでしたし、
チャレンジ精神がかき立てられ、

 

すぐに説明を聞きに行き、
確かその日のうちにサークルに入ることに決めました。

 

これがロードバイクとの出会いです。

 

 

 

でも、2年間ぐらいはロードバイクが嫌いでした。

 

始めは女子に負けるぐらい遅かったですし、

 

合わないサドルでロングライドでお尻が痛く、
走り終わった後のおしっこが、いつも激痛。

 

陸上では味わったことのない
生き地獄のような苦しみも何度か経験しました。

 

 

遅いし、痛いし、苦しい。

 

 

何も楽しくありませんでした。

 

 

その後、大学3年ぐらいのときだったでしょうか?

 

何となく機材いじりとか自転車雑誌とかで
興味を持つようになります。

 

もともと研究家体質なこともあって、
「ロードバイクって面白いな」と思うようになり、

 

ポジションも自分なりに研究して
徐々に乗れるようになっていきました。

 

蒲郡トライアスロン大会 バイクパート
(蒲郡トライアスロン大会、バイクパート)

苦手なバイクを克服した僕は、
3年の秋には、デュアスロン(ラン→バイク→ラン)でインカレに出場できました。

 

ただ、バイクに対する熱は
今ほどどっぷりって感じじゃなくて、まだ”かなり好き”ぐらいでしたね。

 

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大学卒業後

身体を動かすのは好きでしたし、
イメージのカッコよさから
大学卒業後、消防士」になりました。

 

その後半年近く、消防士でいっぱいいっぱいの時期が続き、
その間、ロードバイクからは自然と遠ざかりました。

 

当時、将来の不安や人間関係の問題で、
精神的にも追い込まれていて
かなり苦しい日々を過ごしていました。

 

 

「こんなはずじゃ‥‥」

 

「どうすればいいんだろう‥‥」

 

「行きたくない、行きたくない、行きたくない‥‥」

 

 

いつも頭の中がぐちゃぐちゃで、
何度も「死にたい」と、本気で思っていました。

 

 

そんな精神的苦痛から、
どうにかして逃れたかったんでしょうね。

 

ある日の休日、
完全な静寂包まれた夏の真夜中に
どうにも居ても立っても居られない気持ちになった僕は、

 

ロードバイクで家を飛び出しました。

 

 

まるで自分一人の世界に感じるような暗闇の中、
何かを求めるように、ひたすらに南へ向かって走り続けました。

 

1000m以上の峠を越え、
160km以上、計12時間走り続けました。

 

 

「ああ、なんて気持ちいいんだろう。」

 

 

その時感じた解放感爽快感は、今でも忘れられません‥‥

 

どこまでも続く峠を登っているときの強烈な苦しさは、
当時、死にたいと病んでいた心に
むしろ”生”を強く実感させてくれました。

 

そこから、人生の見え方が大きく変わっていきます。

 

 

 

数か月後、消防士を辞職。

 

そして、すぐさまで「自転車店」で働き始めます。

 

大学卒業の就職活動時に、
あこがれの消防士か、夢の自転車の仕事か
どちらかで迷っていましたから、

 

消防士を辞めると決めたとき、
自然と自転車屋に心が向かいました。

 

ロードバイク単体で競技に
打ち込み始めたのはその頃から。

 

先輩に誘われて実業団チーム
入れてもらったことがきっかけです。

 

1年間で色んな地方のレースに出場させてもらいました。

 

遊び感覚でしたから、成績は全然でしたけど、
チームメイトと旅行に出かけているようで、すごく楽しかったです。

 

 

その次の年からは、自転車競技の中でも、
ヒルクライムを中心に出場するようになります。

 

「集団内で走る」「カーブをうまく曲がる」といったテクニックはなかったし、
何よりも落車するのが怖くて勝負に絡めませんでした。

 

でも、ヒルクライムなら落車の心配はありませんし、
テクニックよりも持久力がものをいう競技です。

 

子供の頃から走ってきて培った能力「持久力」を活かせます。

 

 

それに、ヒルクライムには心昂る感覚がありました。

 

「負けてなるものか!」

 

闘争本能が剥き出しになる気持ちが
競い合う中で、自然と湧き上がってきます。

 

いつの間にか、僕はすっかり自転車にはまっていました。

ヒルクライム

プロフィール
(2015年、大台ケ原ヒルクライム大会)

正直、キツイ練習はあまり好きではありません。

 

人生の貴重な時間を使って、
心臓が飛び出るような苦しい思いをしなければなりません。

 

 

夏には太陽が照りつける猛暑の中、焼けるような思いを、
冬には冷たい風の中、手足が凍えるような思いをします。

 

身体はぐったりと疲れるし、
そんな状態で仕事もしないといけません。

 

「何やってるんだろう」って思うこともよくあります。

 

2015年 ダルガ峰ヒルクライム 優勝
(2015年、ダルガ峰ヒルクライム優勝)

でも、十二分に苦しんだ分、
その分だけちゃんとご褒美がもらえます。

 

 

胸の奥から感情が湧き上がり、

魂が揺さぶられるような、

もの凄く熱くなれる最高の瞬間。

 

 

それは日常生活では決して感じられない、
競技の中でしか味わうことができない特別な瞬間です。

 

人生の貴重な時間を削り、
肉体を痛め続ける理由は、それで十分。

 

 

 

「全日本マウンテンサイクリングin乗鞍」は、
全国屈指の強豪達が一堂に集まるヒルクライムレースです。

 

きっと、その大会で優勝できるぐらい強くなれば、
僕が求めている日本一熱い戦いをすることもできるでしょう。

 

だから、僕の目標は、
「全日本マウンテンサイクリングin乗鞍」優勝。

 

 

 

そんな数々の壁にぶち当たるに違いない目標を持つ
ある一人の男のロードバイク人生の過程を
ブログに残していきたいと思っています。

 

 

では、よろしくお願いします。

 

松木

 

PS

このブログが「熱い気持ち」を持つ人たちと関われる
何かきっかけとなればいいとも考えています。

 

始めはきっと何も起こらないでしょうけど、
ここで書いた僕の気持ちが、本気のものだったら、
きっとそこに共感、応援してくれる人が増えるはず。

 

そういう思いを持って書き続けていきます。

 

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